Da-iCEの中でメンバー1頭脳派として知られるパフォーマー岩岡徹さんにSWISHについての思いをインタビュー。
-岩岡徹さんの中で、SWISHの思い出やSWISHと言えば!と思えることは何かありますか?
岩岡徹:結成当初からお世話になっていたので、SWISHありきで今のDa-iCEがあるみたいなところはありますね。一番SWISHに熱を入れていたというか。結成当初は自分たちで集客の人数を気にしたり、100人の集客を超えるかをメンバー全員で目指していました。3桁の大台じゃないですけど、誰を観に来たか?という時に、Da-iCEを観に来たという人が徐々に増えてきて、その人数に一喜一憂していましたね。
SWISHはあくまでも対バンなので、仲間でやっているけれども、ライバル意識というか。当時、それこそBRIDGETさんだったり、WHITE JAMさんやVimclipさんがメインでやっていて。どのグループもすごく曲もかっこよくて、いいグループだったので、なんか…青春ですね、そう思うと。Da-iCEにとっての青春がSWISHですね。
-SWISHはDa-iCEにとって青春なのですね。
岩岡徹:いいコメントしますね、僕(笑)
-岩岡徹さんの中で、SWISH地方公演などでの思い出もありますか?
岩岡徹:地方公演、色々行きましたね。そうですね、名古屋SWISHをよく覚えています。名古屋はOZONという会場だったんですけど、箱が特殊なんですよ。ステージの正面の上から見えるところがあって、そこでストレッチしながら出番を待ちながら他の出演者のLIVEを観て、緊張を感じていた思い出がありますね。
出演者だとLIVEを観る時は、袖で観なきゃいけないっていう規制があったりして、OZONは堂々と正面からいい位置で観れたので、特等席みたいな。
-舞台演出に携わっている岩岡徹さんならではの視点ですね。
岩岡徹:他にもクリスマスや誕生日を祝ったりしたこともありますね。あとは物販が届かない事件もありました(笑)
-物販が届かない事件ですか(笑)それは大変ですね。
岩岡徹:自分たちでグッズを売っていたので焦りました。グッズ販売を5人で並んで売っていた思い出もありますね。1枚1000円くらいで鏡を売っていたんですけど、想太が冗談半分で「みんな、割ってもう1枚買ってな!笑」って(笑) なんなら売り上げのお金とかも自分たちで数えていましたしね。最初の頃はタオルにサインを書いたり、自分たちのグッズでスウェットが欲しいねってなって、当時僕が履いていたサルエルっぽい形がいいってなってつくったんですけど、全然売れなかったです(笑)メンバーが着たいから、そのスウェットがリハーサルとかに役立つっていう考えがあったんですけど…。でも今なら女の子とか冬の寝巻きとかにいいなって思います(笑)
本当に色々思い出がありますね。「TOKI」という楽曲を当時毎回披露していて、今もやっているんですけど、手を振るフリがあって、他の出演者さんやスタッフさんがいるじゃないですか?目配せしているときにパッと見たら、当時マネージャーの田中涼介がでっかいあくびをしていたんですよ(笑)みんな楽しそうに手を振っているのに、一人だけあくびをしてたのでめっちゃ覚えてます!せめて担当アーティストのときはあくびをするなと(笑)
-マネージャーがあくびをしていたのはちょっと悲しいですね…。
岩岡徹:悲しかったです。しかもそれがOZONなんですよ(笑)
それとSUPER FICTION casts SKY-HIを福岡SWISHで1発目にやったこともありましたね。オープニングのほんと1曲目にやって、すごく楽しかったですね。あの曲も数える程度しか披露したこと無いので。
-SUPER FICTION はSKY-HIさんが居ないと成り立たないですものね。SWISHで披露ってすごいですね!
-今のSWISHについてはどう思われますか?岩岡徹さんと仲良いアーティストなどはいらっしゃいますか?
岩岡徹:WHITE JAMさんや天才凡人さんはずっと一緒にやってきて、僕もファンであり、曲も好きで、それこそWHITE JAMさんに関してはMVに出させていただいたり、初期のころから楽曲提供もずっといまだにやってくれているので、深い繋がりはありますね。
それとFIZZY POPの白水萌生とは最近会ってないんですけど、仲良しですね。あとlolの小見山直人と昔はよく飲みに行ったりもしていましたね。UNIONEのJINくんも飲食店で働いている彼の友達でDa-iCEがすごく好きなやつがいるんですよって紹介してもらったり。しかもその飲食店でちょうどDa-iCEを歌っている時に会って、めちゃくちゃ歌上手いなーって思って!そんな出会いがありましたね。
-SWISHでたくさんのアーティストさんと共演できるからこその出会いですね。
岩岡徹:ぜひ出演者の方とお客さんには青春をしてほしいですね。
-そんなSWISHの基点となっている渋谷VUENOSですが、岩岡徹さんの中で渋谷VUENOSでの思い出はありますか?
岩岡徹:いやー、思い出しかないですね(笑)Da-iCE自体の初ライブが渋谷VUENOSだったというのもありますし、渋谷VUENOSで合計どれくらいライブをしたんだろう?
-岩岡徹さんにとっても、Da-iCEにとっても思い出が詰まった場所ですよね。
岩岡徹:Da-iCE結成の初期は渋谷VUENOSでしかライブをしていないくらい、めちゃくちゃお世話になったので。最近行けてないので、VUENOSでライブしたいねってメンバーとよく話しているんですよ。
-今ならきっとDa-iCEファンが溢れちゃいそうですね(笑)
岩岡徹:あの頃の初心じゃないですけれど、思い出が強いので、あのステージに立ちたいという想いが今もありますね。あとミニSWISHみたいなイベントに渋谷VUENOSで徹&颯で出ましたね。2人の楽曲があって、一切踊らず歌のみで出演しました。
渋谷VUENOSは階段降りてステージへ行く導線しかなかったのが、ちょっとしてからステージの上手からの導線ができたのを覚えています。内緒の通路なんですけど(笑)
-たくさんライブをしている渋谷VUENOSでやっぱりハプニングとかもありましたか?
岩岡徹:例えば今はツアーで20曲とか30曲をやるんですけど、当時は2曲とか3曲、4曲だったのに、フルマラソンした後みたいな体感でした。口が乾いて粘り気が出るみたいな、今より疲れちゃうくらい、必死すぎましたね。魅せるとか一緒に楽しむというより、がむしゃらにパフォーマンスをするということしかメンバー5人とも頭になかったという想いはあります。とにかくすごい必死でしたね。
-その必死さが伝わって、徐々にDa-iCEファンが増えていったのだと思いますが、嬉しさも共に増していきましたか?
岩岡徹:そうですね。嬉しかったです。やっぱり育ってきた渋谷VUENOSでライブをまたしたいなって思いますね。
-ぜひ実現を期待しています。
岩岡徹(Da-iCE)
1987年6月6日生まれ
千葉県出身。O型。
Da-iCEのパフォーマー。Da-iCEのLIVE演出も担当。
Instagram:@da_ice_toru_iwaoka
Twitter:@Da_iCE_TORU